お昼にニュースを見て、びっくりしたのと同時に、ショックで仕事中であるにも関わらず、涙が出てきました。 😥
今年初めにはボンクラーズと対戦したばかりでしたし、日本将棋連盟会長として、元気よく活動していただけに、信じられませんでした。今の将棋界があるのは米長会長の尽力によるところも非常に大きいですし、偉大な先人だったと思います。
また米長会長と言えば、お弟子さんが多いのでも有名ですが、こんなことになるのであれば、中村太地六段には棋聖戦でタイトルと取って、恩師に恩返ししてほしかったですね。中村六段自身が一番感じていることかもしれませんが、近い将来中村六段が米長会長にタイトル獲得を報告してくれることを信じています。 🙂
それにしても偉大な人を亡くしたな~
日本将棋連盟会長で、史上最年長の50歳名人となった、永世棋聖の米長邦雄(よねなが・くにお)さんが、18日午前7時18分、前立腺がんのため東京都内の病院で死去した。69歳だった。通夜・葬儀の日程などは未定。
山梨県富士川町(旧増穂町)生まれ。佐瀬勇次名誉九段に入門、1963年四段となってプロ入り。73年、第22期棋聖戦で初タイトルを獲得した。79年九段に昇段。85年に王将、棋聖、十段、棋王の4冠を達成した。棋聖は計7期獲得し、永世棋聖を名乗る資格(通算5期)を得た。
最高棋戦である名人戦では、挑戦すること計7度。最後の第51期七番勝負(93年)で、宿敵の中原誠名人を4連勝で破り、実力制名人になってから史上最高齢49歳11カ月で初の名人に就いた。翌年50歳になって、羽生善治王位に2勝4敗で敗れたものの、挑戦者を決めるA級リーグ戦には、連続で26期在籍(名人在位を含む)した。
03年12月、引退。以降、将棋普及を中心に幅広く活動。同年日本将棋連盟専務理事、05年からは会長を務めていた。99年から07年まで、東京都の教育委員を務めた。12年1月には、最強の将棋ソフト「ボンクラーズ」と平手(ハンディなし)で対局。接戦となったが、中盤のミスで敗れた。
09年1月に、前立腺がんで治療を受けていることを公表。ホームページ上で、「癌(がん)ノート」と題して、状況を報告していた。日本将棋連盟などによると、前立腺がんが見つかったのは08年。今年初めのコンピューターとの対戦後に体調を崩して以来、一進一退を繰り返していた。約1週間前に東京都内の病院に入院したが、容体が急変したという。タイトル獲得は名人1、十段2など計19期(歴代5位)、優勝回数16回。通算成績は1103勝800敗1持将棋。弟子に、先崎学八段、中川大輔八段ら。「人間における勝負の研究−さわやかに勝ちたい人へ」など著書多数。