カテゴリー別アーカイブ: 書籍

頭脳対決! 棋士VS.コンピュータ

清水女流六段とあから2010について書かれた本です。
当時も話題になっただけでなく、私自身清水先生やあから2010の開発サイドの方々の強い思いに感動したことが懐かしくなり、読んでみました。棋士 vs コンピュータの対局は現在でも続いており、山崎叡王とポナンザによる電王戦が近々ありますが、毎回感じることの多く、今年も楽しみにしています 🙂
また、清水先生の言葉で心に留まったので記載しておきます。清水先生のすばらしさはこの本でも沢山書かれており、一度でイイからお会いしたいと改めて感じました。日本へ帰国したら、絶対サインもらいに行きたいな~ 🙂

  • 勝ったり負けたりして自分が変わってしまうほどやわじゃない
  • 頭脳対決! 棋士VS.コンピュータ(田中徹/難波美帆) [定価:550円(税別)]
  • → ゼロ(図書館)

われ敗れたり

今日の電王戦FINAL第2局の結果について一部の方から批判的な意見が出ていることに非常にがっかりしています 😥
永瀬六段がSeleneの弱点を突いたのは確かです。但し、これについては今から約3年前に故米長永世棋聖が言及しています。私は将棋の普及に努められた米長先生を尊敬していますが、米長先生がボンクラーズとの戦いについて書いた「われ敗れたり」のP56~58にこんなことが書いてあります。以下は抜粋。

そしてこの詰将棋の正解手順は、その中の答えの一つ、「2三角成らず」が正解です。成ってしまうと詰まないのですね、(中略)このたった七手の詰将棋、弱い人でもちょっとヒントをもらえば「そうか」と解けそうな詰将棋が、どういうわけかボンクラーズには解けないのです。(中略)「成らないほうが得になる」というケースが計算に入ってないんですね。これはボンクラーズの欠点の一つです。

米長永世棋聖vsボンクラーズは電王戦を語る上で非常に大事であり、「新米長玉」といわれる2手目6二玉に代表されるように米長先生が命をかけて勝利を掴もうと戦った対局です。ニコニコ生放送でも100万人が見守ったと言われていますし、この本を読まれた方も多いと思います。
私が言いたいのは「成らず」への対応は既知の問題だということです。Seleneについては西海枝は潔く負けを認めてくれましたし、何より意図をもって飛角歩の「成らず」への対応を外してあったわけで、私は何も言うことはないです。そして既知の弱点を突いた永瀬六段に罪はないということを将棋を愛するすべての人に知ってほしいと思います。電王戦、ホントすばらしいな~ 🙂

今がその時期

将棋世界2014年2月号の内舘牧子さんのコラムに出てくる言葉です。里見香奈さんが発言した内容を褒め称えていますが、私もこれには感動です。21歳が「若いうちに苦しい経験をしておきたい。今がその時期だと思うんです。」とはなかなか言えません。私も自慢じゃないですが、前半部分の「若いうちに苦しい経験をしておきたい」は認識がありました。それなりに苦しいときもありましたが、三段リーグで戦う里見さんとは別次元で、後半部分の「今がその時期だと思うんです」が、本当に頭が下がります。
私の場合、37歳にして初の海外赴任がやってきたわけですが、若いうちに「その時期」を作るべきだったと少し後悔しています。楽しみも大きいのですが、不安もありますからね。経験があれば、不安はおそらく半減しているはずなので 😯
まあ、そんなことを言っても仕方ないですし、シンガポール赴任だって三段リーグ突破に比べれば大したことないですから、「出雲のイナズマ」を見習って私も頑張ってみたいと思います 😀

つまらない将棋

将棋世界2013/07号の内館牧子さんのコラムに出てきますが、「Pella α」を開発した伊藤英紀氏が口にした発言です。私は内館さんも塚田九段も特別贔屓にしているわけではないですが、二人の意見に大賛成です。
やはり対戦相手の作戦に対して「つまらない将棋」という発言は許せませんね。相手に対して失礼ですし、将棋の内容全体を否定するような言動は慎むべきで、口にするなら「自分の力不足だった」が適切です。だいたいこの伊藤氏ですが、この発言以外にもとにかく態度が悪い 👿
私の嫌いな富士通グループで働いてることも含めて、大嫌いです。偉そうなことを言っても、大部分はボナンザに頼っているわけですし、どうしてもっと謙虚になれないのでしょうか?
コンピュータ将棋にもつらい時代があり、先人たちの頑張りがあっての電王戦の勝利のはずです。「先人たちの頑張りがあって、私も何とか頑張れました」と言えないこの伊藤という男。はっきり言って死んでほしいです 👿

二手は指せない

将棋世界5月号に内館牧子さんが書いた文章なのですが、ちょっと考えさせられましたね。「二羽追うものは一羽も得ず」と同じような意味合いで表現されていましたが、将棋同様2つのうちの1つを選択しなくてはならないことも結構ありますよね。
またこの文章の中に「決断」とは、一手を「決」めて、もう一手を「断」つということを表しているとありました。これも納得ですが、この辺のことを将棋から学ばなくてはと感じました。 🙄